たねをまくことは、いのちをつなぐこと~Seed of hope~

きぼうのたねカンパニー アグロエコロジーを軸に自由なフィールドで希望の種を蒔き続けます。 愛と癒しでこの世界をゆるやかに変革していきます。

わたしの故郷、福島の今

真夜中の高速道路


可能性を開くカギ、自分の揺れ動く感情を丁寧に扱うこと。
それを意識して過ごしたい1年。



人はどうしても頭で考えがちである。
わたしも年末年始にかけて、あることについてグルグル頭の中で巡っていたが
餅つき交流会に参加したり、スキー場で身体を動かしたり
親戚の方や人と会って話しを聞いたりして過ごしていた。



そんな中、お正月休み中に
楢葉町の小料理屋「結のはじまり」で女子会が開かれた。
双葉郡で起きている生の声や日常の出来事をただうなずきながら聴いていた。

 
双葉郡の地に千葉・大阪・神奈川から移住した3人の女子たちと

福島出身だが今は県外に住むわたしともうひとりの女子は、福島での活動から離れて過ごした1年。

(これまた不思議な構造...笑)



なかなか会えない人たちに、お正月に集える時間は貴重なもの。

 出会えるよろこびに感謝。



世の中はオリンピック...
それぞれが住む環境により得ているものの違い。


多発する災害で、もう過去のこととしてしまい込んでゆく原発事故の事実
情報が折り重なり、上書きされた今、原発災害の地で何を伝えてゆくのか




切り取られた言葉、切り取られた事件や事故の情報が瞬時に流れてゆく日常の中で


見えないモノを大切にする
自分の思想とは、哲学とは・・・を紐解いてゆきたい

 


話しが尽きない中、22時を過ぎたころ。
そろそろ南三陸に帰ろうとハンドルを握った。



24時間、帰還困難地域には監視員が立つ。

雨でも雪でも嵐でも
暗闇の中に佇む姿

この過酷な労働下で何を思うのだろう


感謝と敬意を心の中で伝える
長い時間が経っても変わらないこともある
どれだけの人がこの現実を知っているのだろうと





真夜中の高速道路を走らせながら

みんなが発した言葉一つ一つをもう一度振り返る

自分は口数少なく、聴くだけで返せなかった言葉の数々を自分の胸に落とし込む作業。

人よりも時間がかかることは自分でもわかっていること。

安易に発した言葉は人を傷つけ兼ねないことを知っているし
そんな簡単に言葉を発せる程、私は頭が早く回転するタイプではない



双葉郡の現状は

重くて、苦しいことだったり

現実から目を背けたいことが多いだろう

相手に悪気がなく発した言葉は人を傷つけしまったり

複雑さと残酷さがつきまとう、この地域のこと



時折、みぞれから雪になり視界を遮るくらい吹雪になった
ワイパーを高速にして運転に集中させた


女子トークならではの恋愛の話しもするし、楽しい話題も笑いネタも多かった。
何より女将の料理がとてもおいしかった。

 

それ以上に突きつけられた言葉を自分で整理しながら、帰路につくころはとっくに日付を過ぎていた。

自分の感情はその土地に行けば感じるもの。



揺れ動く心。
矛盾と葛藤。
ここで生きたい、生きると決めたことでも
ある神様から与えられたギフトを自分がどう選びとるか。
人生は未知であり、不確実の中で何を残すのか。
この町が好きなこと。
恋愛と似ている感情が溢れていた。
なぜか冷たい海と風がとても寂しく感じるのはなぜだろう。
この町が私を優しく包み込んでくれている温もりを感じるのはなぜだろう。
私の肌が感じること
私の心が感じること
ゆれ動く今を大切にしようと思う。



感情と向き合いながら、
情報の扱い方に必要な力を選べるように。

大事なこと3つシェア

①変化への対応力

②新しいことを学ぶ力

③慣れない環境下で心を安定させる力



 

諦めない対話

10月22日(火)

NPO法人キッズドア東北事業部様からご依頼を受け、福島県浪江町へツアーに同行させていただきました。

わたしの心の故郷である浪江町に宮城県の中学生、高校生、大学生、そして初めて訪れるという大人のスタッフのみなさんと行くことができました。







去年の今頃は、毎週浪江町に野菜を届けていました。
当時浪江町にはスーパーもない、新鮮な野菜を購入できないという需要があったため友人と一緒に毎週木曜日は役場隣の「まちなみマルシェ」で販売させていただきました。

二本松から浪江町へは帰還困難地域を通って約1時間。

人が住んでいない町を車で走っていたとき、溢れる涙が頬を流れていた。
私の心の中で行き場のない感情が、運転しながら溢れていた感情が今でも鮮明に思い出される。
何も変わらない美しく色づいた木々、紅葉の道のりはとても美しかった。

哀しみも嘆きも怒りも・・・たくさんあったこの町の人々に想いを寄せて・・・



あのときよく野菜を買いに来てくれていたお客さんは元気でいるだろうか....
避難先の二本松に家を建てたが、近所づきあいがなく寂しい想いをしていることを伝えてくれた、おばあちゃんは元気に過ごしているだろうか...
津波にのまれそうになって生々しい3月11日の出来事を語ってくれたおじいさん。
一瞬の出逢いの繰り返しだが、氣持ちだけは寄せていたい。
みんなが笑顔で幸せに暮らせていますように。




私が大好きな町に、若い人たちと一緒に学ぶ機会を得ることが出来たことに感謝したい。


私の友人であるキッズドア東北事業部の事務長が丁寧にブログを書いてくれたので是非お読み下さい。

10/22 U18福島スタディツアー


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原発事故によって2年間立ち入りができなかった町。
私がはじめて訪れた時は立ち入り許可証を頂いて沿岸部に行った時は衝撃でした。
空白の2年間。
それから、あらゆるものがカタチを変えて、一部避難解除となって2年半。


どこまでが復興といえるのか
遅れているのか、進んでいるのか
オリンピックを起点にあらゆるものが縮小とされていく被災地


3.11がスタートラインだったかもしれないけれど
スピードも町のあり方も
見方も、捉え方や考え方も人それぞれ
その中で、大事なものをみようとしている人たちと
今こそ手を取り合うことが
今だからこそ思いやる心を

「対話」から生まれることを再確認した今回のツアー。


長いスパンで向き合っていきたいというこの町で続けていきたい「諦めない対話」を
これから訪れる人々と一緒に創っていきたいと想った。



また定期的な学びは続きそうですので、いろんなカタチで人と人、福島をつなぐことをしていきたいと想います。

ありがとうございます。







 

環境政策・経済学会 食と農、暮らしの再生


震災原発事故から8年半の出来事は、人と大地の関係性が壊された。

福島の汚染土、防潮堤の壁や盛土
辺野古の埋め立て土砂においても



あらゆる土と人間との関係性において失われてゆく土の命を痛いほど感じている今

第一次産業に関わる福島の森林・漁業・農業における変化や課題を知ることは、薄れゆく記憶からまた上書き保存していくようなもの。

私たちの日常から切り離された福島と改めて向き合うようなもの。


しかし、正しい情報が届かなければ
2011年の福島の事故の悪いイメージがずっと続いていくのだろうか。






頻繁に多発する災害によって
人・社会・環境への様々な影響がある

それは時に人の目に見えにくく、声が届きにくく、分断された情報が飛び交う一瞬の世界の交信のようなもの。


帰還率があがったからと復興が進んでいるという、数字で図るようなものではなくて

ただ、その数字に惑わされた人間たちが評価していくこの社会


帰りたくても戻らない
いや、もう帰りたくない
まだ迷っている
帰りたい


人の気持ちは人それぞれ、時間が解決することだってあるし、人も地域も変化していく



特に女性と若い世代の帰還率の低さを持ち出されたとき

地域における女性の役割、若い世代の役割というものも失われてしまう訳で
担ってきた文化継承も途絶えるのも言うまでもない


阿武隈山系における多様な食文化はかつての冷害や飢饉といった私たちの命を繋いできた人たちが経験した出来事がある


それでも田畑を耕し続けてきた


原子力災害の社会的影響は複雑に絡み合い
不安感・差別・買い叩き問題というものが上がってくる

時間が経過しても福島産もしくは輸出する際の日本産が拒否される、払拭できない理由は未だにある



自分たちが食べるものを自分たちで測る
消費者も関わるという、放射線量数値以外の信頼がきっとある
だからこそ、私が出来ることをこれまで福島の地でやってきた過去がある
しかし、どこかで終始点を打つことでもなく、これからも時間をかけて伝えていくべきことだとも感じる

 

お米に関しては土壌汚染の数値が高いことでお米から高く検出されるということは比例しない


それは、中山間や里山の複雑は地形、山側との隣接するような場所、水がどこから流れていくのか、未だにお米に関するメカニズムがわからない


だからこそ、

これまで福島県はお米の全量全袋検査に取り組んできた

1000万袋 年間60億

流通するお米に限らず、自家消費も全てのお米を検査してきた

2013年からは基準値越えは出ていない


それでも風評被害という言葉でひとくくりされるのは、わたしは悔しい


多くの風評被害対策47億円の半分は広告代理店だ


流通や市場構造の変化として震災前は、中国・台湾、震災後はマレーシアやタイ、イギリスへ変化した


これまで徹底的にやってきた全量全袋検査は放射能という対策としては安全性をみえる化したデータを残した


これを食ベースでみるとどうだろうか

農薬や遺伝子組み換え、食品添加物、ゲノム編集....

あらゆるものはサンプリング程度だろう


しかし、福島県の生産者や現場で一緒に考え調査してきた研究者、また行政の方々の並々ならぬ努力があってこそだが


県外に行けばお米の検査体制を知っている40%、知らない59.2% 
県内は約8割が知っているという2017年のデータである

且つ、今の福島産のお米は不検出(ND)であることを県外の人で知っているのは、
わずか17.5%...


検査をしているかしていないかの認知による消費者判断が異なる現状がある


国内だけではなく、海外からみたらより明白である


福島は人は住めない、水は飲めない、食べられない、福島のものは不安だという人は半分はいるということを事実として押さえておく


日本は小さな島国
東京の位置よりも福島の方が有名になっている



それが8年目の事実であり

応援より理解
イメージより事実

これまでの検査体制やその過程、検査結果を伝えていくことの重要性もある


それと同時に健康を命を守ることにどれだけの人たちが向き合ってくれたのだろう


データを測る、数字として提示する


しかし、人々の健康不安という目に見えずらないものは本来守られるべきなのに
話題としてもあがりずらいことなのだろうと


命を生み出す女性からの視点や生活や暮らしの根付く観点が少ないことから、生きずらさを感じてしまう



農と食には、命との繋がりがある


循環してきた営みがある


生産者と生活者が健康であること



冒頭に書いた大地と人との関係性が、農業者には、わたしにはあった


そこを切り離すことの辛さと苦しみ、痛みさえも

癒えない傷を背負うことを許されたなら
経験した人が伝えるべきだと思った胸の内を...


先祖代々受け継がれてきた農地や集落、そこでの文化や知恵の数々...


そういう暮らしが持続的に続く私の中にある『福島』は心の真ん中に置いて、
わたしは、今いる場所でしかできないことを見つけていくから。




情報の上書き保存でもなく


ただ、過去と未来をつなぐ現在からみた
私の考えと感情を混ぜ合わせながら未来を作っていく今の氣持ちを綴ってみた。







盆唄

夏は毎週のように花火大会や盆踊りなどのお祭りが賑わいますね♪

先日、「盆唄」というドキュメンタリー映画を観てきました。

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福島県双葉町で受け継がれる盆踊りがハワイや富山のルーツを辿りながら、私たちの過去と向き合う映画でした。


町の96%が未だに帰還することができない双葉町のことを盆唄を通して知ることができました。
映像として、あらゆる言葉を繋ぎ合わせ残すことの意味をとても感じられました。

私たちは忘れるからこそ、自分の意識をどこにフォーカスして行動できるかだと感じています。


昨年の引き続き4年連続、明星大学のゼミ合宿のアテンドをさせていただき

先週は大学生を連れて浪江町と富岡町に行ってきました。


記録用にも残しておきたいのでここに書き留めます。

浪江町視察先

【請戸漁港】

津波が先か、原発が先か考えればわかりますが自然災害が先でした。

津波被災者は内陸の原発被災者と違って
建物に対する賠償金
建物の保証がゼロ
生活を再建しなければならない
いつ帰れるかわからない中
仕事も住宅も決めなければならない

その中で、この土地を手放すことを決めた
「災害危険地域」として人が住まない場所として町が買いとった土地
土地を活用するため防災林をつくることを進めている


集積された墓地が未だに残っています
今は移転した大平山霊園になっているのでお墓ではなく産業廃棄物として3〜5億円かかると言われている
まだまだ課題が多く時間がかかる問題がある

【請戸小学校】

沿岸部から200mの場所
1年生全員下校、2〜6年95名は避難
地域の人が津波が来るから逃げろと指示
地震発生から8分後の行動、
学校から大平山霊園までは約2㌔ 子どもたちが着いたのが15時35分
学校に津波が襲った時刻 15時38分 

全員助かった (先に下校した小学校1年生の安否確認が1ヶ月かかった。)
地域の声、前日の地震のときに先生方が避難経路の確認
自衛隊の方がこの学校を基地にして捜索活動を続けてくれた


請戸小学校は震災遺構として残すことになり整備される

この近くの約50haの土地に復興祈念公園ができる
(双葉と浪江の間にできる)

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【大平山霊園にて】
 
自分の命を守るということの判断は
避難経路通りに逃げていたら命を落としていたかもしれない

今、自分の住んでいる場所の避難経路の確認をしておくこと

災害は状況によってはシュミレーション通りにはいかない
自分自身の命を守るのは自分しかいない
どう逃げるべきなのか、高いところ、方向はどうなのか
車で逃げ遅れた方々がこの川沿いにたくさんいらっしゃったこと

命の境目だった場所がこの場所であった

182名の犠牲者の名前が刻まれている

真っ先に来たのが地元の消防団が助けを求める人の声を拾って
助けにいった

助けを求めている人がいる
声が聴こえる しかし、夕暮れ時は帰れねばならなかった 明日の朝も行こうと想っていた矢先

3月12日5時44分
翌日の朝、原発事故により半径10㌔圏内は避難指示が出たことにより、二度と誰一人立ち入れなくなってしまった場所
自衛隊さえも行けなかった場所
助けられたかもしれない命がまだまだあった
確実にあった

そんな想いをもちながら
みんなは避難しなければならなかった無念さ


これが東日本大震災と原子力災害の大きな出来事



助けられたかもしれない命を助けられなかった
 
原発事故の影響だったというこの地域に残っている傷や痛み


この地を訪れた人が考え
これからの人生の中、自分の生活の中で考えてほしい

人が住まない地域になったが
お盆の季節、墓地に多くの人が訪れる
最初の復興事業として墓地を作った

再会の場
避難場所として

どんどん変わっていく請戸
変わらないものとして残していく請戸小学校

今はどうなるかわからない、何十年かかるかわからない
この先とこの場所で、お米が実る光景を夢みながら、希望をもちながら 生きていく




◎人の話しを聴く(ヒューマンツーリズム)前向きな人がいればそうじゃない人もいる
光と影があることを知る
◎この地で考える時間をつくる
◎体験的学びに全部していく、創造して考える
◎考え続けたいことをみつけて帰る

「 見る・聴く・対話する」
どれだけ心が動く瞬間を作れるか

違和感、同意、疑問・・・・


この地域を見聞きしてこれからの個人の生活、仕事やライフワークの中でどう生かせるかを考える。

ここにしかないものが確実にある。


 課題が多い地域
原発と向き合っての地域
2万1千人の人口があったインフラ
まずは1000人しかいないこの町で
これをどう捉えるか
ワクワクしかない
誰もやったことがない
正解がない
何でもチャレンジできる
ゆるやかに少子高齢化が進んでいく日本においても先駆けとして

「課題先進地」 

先のことがどうなるかわからない震災のとき想った
明日の自分の命が保証はない。だったら今、目の前のことを楽しく一生懸命やる
やりたいことがあったらやってみよう
自分らしく、人間らしく生きる道
課題があったらどうやったらできるか
いろんな方向から考えていく 次につながっていく
お店がなかったら 自分たち作ればいい

どうしても自分でできないことだとわかったら人に頼ればいい
頼る方法を考え抜いていく
「知恵」が我々にはある


 
少しずつ変わっていく浪江町
情報を得る、足を運ぶ
私たちには「浪江町」から学ぶことがたくさんあるんだということを深く知りました。




◎富岡町では富岡町3.11語る会の方にご案内頂きました。

・双葉群唯一の富岡図書館の再開の経緯についてお話
・東京電力廃炉資料館の見学

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今でも3600人近い方々が原発廃炉に向けて作業しています。

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あらゆる視点での
つながり、
関わり方があるとより強く感じました。

最後まで読んでいただきありがとうございます。 

紐解く過去

週末は福島の友人が遊びに来てくれた。 少しずつ採れはじめた野菜をお家で野菜料理を作って食卓を囲む。 小さな歓びを分かち合う仲間がいてくれるのは嬉しい。 ちょっとした幸せな時間を味わえる。 そして、一緒に畑で草むしりをする。

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 今わたしがいるのは、南三陸の土地だけれど、どこかに置いてきた何かを”語り”を通して自分の言葉にしていくことが大切なときもある。 ここ1週間、哀しいことも苦しいことも悔しさが重なって自然に涙があふれていた日々





 南三陸の海が心を癒してくれた 







 この1年近く、対話などの記録を自分のためにとっていてまた再び聴くタイミングがこういう時にやってくる 



 一昨年、フリーペーパー作成のためインタビューをするために飯館村から北海道へ移住した友人との会話の記録を再び聴いてみた 


 飯館から新しい土地に移り住み、再出発した畜産農家



 想像するだけで沢山の苦労があっただろう 辛いことや故郷を思い出す時間もあっただろう 不安や葛藤、喪失の中で生活を再建しなければならないという覚悟もあっただろう 





 故郷を離れた自分自身の今の心境と重なる部分があった 

 いろんな居場所をもちながら生きれる農村の役割がある



 見えるものだけではなく 見えないものとの関わりがそこにはある


 農業はその土地の神様に守られている なくなった命が魂となって生き続ける かけがえのないものが福島にはある 



 少なからず、この原発事故は日本の社会的背景が特に農村においてはダメージが今でも続いていると実感している。 


年月が経てば経つ程、より一層根深く、コミュニティが壊されていく。


 だからこそ、精神的な保持が難しくなる。

 過去の出来事をあらゆる角度から紐解くように、今のタイミングでココに書き残すことが歴史の1ページなのかもしれない。 


 ただ、私の周りにいる人たちの、つながりをもち生きる人々の支えになっていけたらと想う。 わたしの心を介して関わる人たちに愛をもって癒していけたら。 



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 地球はこれ以上”成功者”を必要としていません。 地球は、平和を作る人々、癒す人々、修復する人々、物語を語る人々、そしてあらやる形の愛する人々を、心から必要としているのです」 ーダライ・ラマ
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