震災原発事故から8年半の出来事は、人と大地の関係性が壊された。
福島の汚染土、防潮堤の壁や盛土
辺野古の埋め立て土砂においても
あらゆる土と人間との関係性において失われてゆく土の命を痛いほど感じている今
第一次産業に関わる福島の森林・漁業・農業における変化や課題を知ることは、薄れゆく記憶からまた上書き保存していくようなもの。
私たちの日常から切り離された福島と改めて向き合うようなもの。
しかし、正しい情報が届かなければ
2011年の福島の事故の悪いイメージがずっと続いていくのだろうか。
頻繁に多発する災害によって
人・社会・環境への様々な影響がある
それは時に人の目に見えにくく、声が届きにくく、分断された情報が飛び交う一瞬の世界の交信のようなもの。
帰還率があがったからと復興が進んでいるという、数字で図るようなものではなくて
ただ、その数字に惑わされた人間たちが評価していくこの社会
帰りたくても戻らない
いや、もう帰りたくない
まだ迷っている
帰りたい
人の気持ちは人それぞれ、時間が解決することだってあるし、人も地域も変化していく
特に女性と若い世代の帰還率の低さを持ち出されたとき
地域における女性の役割、若い世代の役割というものも失われてしまう訳で
担ってきた文化継承も途絶えるのも言うまでもない
阿武隈山系における多様な食文化はかつての冷害や飢饉といった私たちの命を繋いできた人たちが経験した出来事がある
それでも田畑を耕し続けてきた
原子力災害の社会的影響は複雑に絡み合い
不安感・差別・買い叩き問題というものが上がってくる
時間が経過しても福島産もしくは輸出する際の日本産が拒否される、払拭できない理由は未だにある
自分たちが食べるものを自分たちで測る
消費者も関わるという、放射線量数値以外の信頼がきっとある
だからこそ、私が出来ることをこれまで福島の地でやってきた過去がある
しかし、どこかで終始点を打つことでもなく、これからも時間をかけて伝えていくべきことだとも感じる
だからこそ、私が出来ることをこれまで福島の地でやってきた過去がある
しかし、どこかで終始点を打つことでもなく、これからも時間をかけて伝えていくべきことだとも感じる
お米に関しては土壌汚染の数値が高いことでお米から高く検出されるということは比例しない
それは、中山間や里山の複雑は地形、山側との隣接するような場所、水がどこから流れていくのか、未だにお米に関するメカニズムがわからない
だからこそ、
これまで福島県はお米の全量全袋検査に取り組んできた
1000万袋 年間60億
流通するお米に限らず、自家消費も全てのお米を検査してきた
2013年からは基準値越えは出ていない
それでも風評被害という言葉でひとくくりされるのは、わたしは悔しい
多くの風評被害対策47億円の半分は広告代理店だ
流通や市場構造の変化として震災前は、中国・台湾、震災後はマレーシアやタイ、イギリスへ変化した
これまで徹底的にやってきた全量全袋検査は放射能という対策としては安全性をみえる化したデータを残した
これを食ベースでみるとどうだろうか
農薬や遺伝子組み換え、食品添加物、ゲノム編集....
あらゆるものはサンプリング程度だろう
しかし、福島県の生産者や現場で一緒に考え調査してきた研究者、また行政の方々の並々ならぬ努力があってこそだが
県外に行けばお米の検査体制を知っている40%、知らない59.2%
県内は約8割が知っているという2017年のデータである
且つ、今の福島産のお米は不検出(ND)であることを県外の人で知っているのは、
わずか17.5%...
検査をしているかしていないかの認知による消費者判断が異なる現状がある
国内だけではなく、海外からみたらより明白である
福島は人は住めない、水は飲めない、食べられない、福島のものは不安だという人は半分はいるということを事実として押さえておく
日本は小さな島国
東京の位置よりも福島の方が有名になっている
それが8年目の事実であり
応援より理解
イメージより事実
これまでの検査体制やその過程、検査結果を伝えていくことの重要性もある
それと同時に健康を命を守ることにどれだけの人たちが向き合ってくれたのだろう
データを測る、数字として提示する
しかし、人々の健康不安という目に見えずらないものは本来守られるべきなのに
話題としてもあがりずらいことなのだろうと
命を生み出す女性からの視点や生活や暮らしの根付く観点が少ないことから、生きずらさを感じてしまう
農と食には、命との繋がりがある
循環してきた営みがある
生産者と生活者が健康であること
冒頭に書いた大地と人との関係性が、農業者には、わたしにはあった
そこを切り離すことの辛さと苦しみ、痛みさえも
癒えない傷を背負うことを許されたなら
経験した人が伝えるべきだと思った胸の内を...
先祖代々受け継がれてきた農地や集落、そこでの文化や知恵の数々...
そういう暮らしが持続的に続く私の中にある『福島』は心の真ん中に置いて、
わたしは、今いる場所でしかできないことを見つけていくから。
情報の上書き保存でもなく
ただ、過去と未来をつなぐ現在からみた
私の考えと感情を混ぜ合わせながら未来を作っていく今の氣持ちを綴ってみた。