里山のめぐみ。
畑の整備で竹きりしたあとに、にょきにょきとタケノコがたくさんでてきました。
タケノコづくし。
山にいけば山菜や蕗、そしてよもぎを摘む。
私が山に入るということは、震災以降ほとんどなかった。
福島で生まれ育ち、原発事故以降はすっかり山との関係性がなくなっていた。
そうさせたのは、紛れもなく原発事故という出来事があったからだろう。
放射能汚染という深刻さ、思い出さえもわたしの中の記憶からも奪っていたこと。
想い出す度に悔しさが込み上げて、頬を濡らすこともある。
久しぶりに山に入って蕗を採りはじめると、亡くなった曾祖母の言葉や一緒に過ごした思い出という記憶がよみがえってきた。まだ小学生だったころのわたし。
兄弟たちと一緒に山からたくさんの蕗をとりっていたあの頃。
わたしの亡くなった曾祖母の存在、この土地を守り、ずっと耕してきたご先祖様の想い。
ふつふつと生かされてきた私の目に見えないつながりを感じさせる想い出が、今住んでいる南三陸町という町で感じることができた。
豊かな自然の中で暮らしてきた幼少期。
記憶を辿りながら、今はその追体験を味わい想いを馳せている。
味覚を通して、懐かしい手作りの味を届けるために。
蕗は甘辛煮に。
懐かしい味は、人々の記憶をよみがえらせ、心を癒していくことを想像しながら。
生きとし生きるすべての命に感謝し、里山のめぐみをいただきます。
ありがとうございます。