前記事のグラスルーツアカデミー東北in福島のあと、少しだけ実家に立ち寄ってきました。
5月の田植え前に、父親が田んぼで代掻きをしている姿、ハウスには野菜やお米の苗たちが立派に育っていた。ヤギを飼っていたので、草を食べながらのんびりとそこにいてくれて、撫で撫でしたら嬉しそうにしっぽを振ってくれた。
去年までは当たり前の光景だったが、今はここに魂として置いてくることが今のわたしには最善であったことを実感している。
なんともならない感情に揺さぶられながら静かにその場をあとにした。
その後、南三陸に戻り
わたしの尊敬する上山八幡宮の工藤真弓さんから震災後のこの町の出来事や最後には紙芝居も披露してくださいました。
この町で起きた過去の出来事を自分の未来の視点でゆっくりと感じ取っていきたい。
そして、今回講師の伊藤マナさんをお連れして浪江の希望の牧場へ行ってきました。
2016年3月にふくしま地球市民発伝所主催でVoice of Fukushimaとしてインドへ行き、希望の牧場の吉沢さんと一緒にインド講演巡業してきた経緯があります。
参考にその際に書いていたBlog記事
Voice of Fukushima ①
Voice of Fukushima ②
Voice of Fukushima ③
吉沢さんとまた再会できて、変わらない熱量(エネルギー)に敬意を称します。
原発から14㌔地点、この地を離れることなく、ずっと300頭近い牛たちを生かし、命の尊さ、原発事故が起きたことによる無念さを必死に伝えてくれました。
原発事故で放射能を浴びた牛たちの生かされる命を国や東電は家畜の殺処分を行ってきました。
この悔しさと無念さで心の底から涙がこぼれ落ちます。
この社会に対する嘆きや憤りをこれまでたくさん感じてきました。
それでも吉沢さんの揺るぎない信念や想いが人を動かし、この土地と向き合い、闘い続ける姿を多くの人に知ってほしいと今も感じています。
インパクトのある発信力があります。
この土地に来ないと伝えられないことがあります。
私はこの浪江に来たのも、この大地、生きとし生けるもの全ての命を癒し、少しでもこの地が穏やかに暮らせる場所になってほしいという願いからでした。
長く、長く、時間のかかるこの原発事故を根っこの部分から見つめていきたいのです。
浪江町役場に隣接する仮設商店まち・なみ・まるしぇという場所で私も去年3ヶ月程ですが、毎週木曜日野菜を届けるためにきていました。
そこでお茶してたのですが、偶然出会った浪江町の男性の方が震災直後のリアルな体験をお話してくれました。
奥さんを亡くされ、泳いで役場にたどり着いた話は想像を絶することでした。
そして、原発事故によりすぐに探しだしてやれなかった無念さ、悔しさをひしひしと心に刺さりました。
その方は今は浪江で暮らしていますが、わたしの故郷である二本松の仮設住宅に暮らしていたことを伝えてくれました。
あの苦悩や哀しみは体験した方しかわからないことですが、想像を巡らせるほど涙が溢れました。
伝えてくれてありがとう、の気持ちいっぱいになりました。
クリスタルボウル奏者の伊藤マナさんとご一緒していたので、より一層この土地でやる意味をとても感じました。
福島に魂を捧げ、わたしが今できることをしていく。
福島に魂を捧げ、わたしが今できることをしていく。
天命にしたがって、歩んでいくことにYesと言えること。
望む世界はすべての命と自分はつながっていること。
この土も自然もあらゆる生き物たちも、生きとし生きるすべての幸福を願う。
人間によって傷つけられた地球の"いたみ"を知ってから、わたしという人間の内側であらゆる"いたみ"を味わった。
南三陸の開墾した畑で生き物たちとの共生を感じながら、種をまき、山に入って筍や蕗をとり、子ども時代の記憶がよみがえり頬を濡らす追体験をした。
森や魚、そして蜂などが自然界から失われることにより、私たち人間がどうなるのか、ちょっとの想像力を働かせてみよう。
どこで、何がどう作られているのか、顔がみえる関係性をもつこと。あなたの住んでいる近くの自然栽培や有機農業者とつながること。そして、在来種や固定種を守り、種のことを知り、畑に入って、耕して一緒に学ぶことだとおもう。わたしもそんな場所をつくりだしていく真っ最中。
声をあげながらも実践あるのみ。
ありがとうございます。